心(意識)のバリア・フリー
 10余り前は、『バリアフリーて何?』という感じでしたが、最近では流行ことばのように使われています。
 社会的環境が整備され、障害者がどんどん外へ出るようになり、一般の人が障害者を “見る目”も大きく変わったと思っていましたが、残念なことがありました。

 一つは、北日本新聞の「記者ノート」欄の記事です。
引用文
《「こんな不愉快で悲しいことはなかった」。福祉ボランティア活動をしている知人が憤りながら 話した。
先日、身障者とのバス旅行で岐阜県白川郷の飲食店に入った時のこと。
店から、「来る場所を間違えたんじゃないですか。こんな人たちが来るとは聞いて いなかった。」と告げられたと言う。 
それまでの楽しい雰囲気はたちまち消えうせ、参加した身障者や家族はもちろん、引率スタッフも 苦い思いで昼食を取ったそうだ。 
「この旅行をみんな楽しみにしていたのに、たったひと言でぶちこわされた」。
知人は唇をかんだ……》

 もう一つは、福祉施設の機関誌に掲載された利用者の声です。
引用文
《先日僕は、施設利用の帰りいつもの通り、バス停で富山駅行きのコミュニティーバスに電動車椅子で乗車させてもらおうとしたら、運転手が僕を見るなり
「他の人乗るから乗らんといて、迷惑や、ほんまに」
と言われ僕は、ただア然としてしまい、この人何を言うてんだろうと、その時は意味がわかりませんでした。
結局は面倒くさそうに小言を言われながらも乗車できました。
降車する時は、富山駅で運転の交代のため待っていた運転手さんに降ろしてもらいました。バスの中で小言を言っている運転手と、全く無言のお客さんたちに囲まれて駅までの20分間が 長く感じたのは初めてです。……》

 
私達も時々福祉専門学校の学生達と車椅子とアイマスク(下肢障害と視覚障害の疑似体験)をつけて生活環境点検に街へ出掛けます。
 その時学生の一人との会話が、耳にこびりついています。
 「車椅子にはもう乗りたくない。」「 どうして?」「 だって通行する人や車の中からジロジロ見られる ……」

 近年、交通バリアフリー法や身体障害者補助犬法など、障害者の社会参画促進に向けた環境整備がすすんでいます。けれど、一番重要なのは人の心です。
 心のバリアフリーが進まない限り、上に引用した様なことがまたどこかで起るでしょう。障害者の障害とは、心身に負ったハンディのことではなく、彼らの社会参画を阻む偏見などの社会的な障害のことだと思います。 
 ヨーロッパやアメリカでバリアフリーが進んでいるのは、人々の意識の中に障害者もそうでない人も同じように行動し、生活を楽しんで当然だという意識が定着しているからだと思います。